目次へ 前のテーマへ 次のテーマへ ルフィミアネットの本はこちら

ちょっと難しい「対抗」の考え方

 さて物権の話でどうしても常識では理解できないのが「対抗」の話です。物権法を理解する最大のハードルと言ってもいい。たいていのことは「常識とバランスで考えろ」って逃げが打てるんですが、登記における対抗力の話だけは、つとめてテクニカルな話なんで、もう「こういうもんだ」ってあきらめてもらうしかない……。
 物権は物による権利で、誰に対しても効力を持つのですが、誰にでも効力を持つということは普通なら「誰がどんな権利を持っているか」外見から見てわかるということにしておかないと、何があるかわからないから恐くて恐くて……ってことになるでしょう?
 だけど外見でわかるか?普通?
 というので日本の法制度はある種のものについては最初からあきらめちゃって、「持っている人は権利があるから持っているのだから、仮に権利がなくても権利があると思って譲り受ければ権利を取得する」って制度にしちゃっています。一般的な動産はこっちで、真の所有者はいつのまにか権利を失っているということもある訳。
 一方で不動産や価値の高い動産については、帳簿を作って、その帳簿に全部載せることにしたのです。これが不動産についての登記制度であり、例えば自動車についての登録制度なのです。
 さてこういう帳簿には帳簿を管理する人が事実を調べてその結果を書く方法がありますが、これは現実的ではありません。普通は帳簿を管理する人に対して「書いてくれ」と頼んで、管理する人は一定の証拠を持ってくればそのとおりに書くというシステムにします。
 そういうシステムにすると中には「さぼる」人が出てくる訳ですが、そのさぼりにどう対応しようかって話。
 そこで出てくるのが、「登記しなかった人は登記した人に勝てない。」ってルールの採用です。例えばある土地の所有権を取得した時は、直ちにその登記をすべしと定める。それをさぼって他の人が登記しちゃった場合には、その登記のある人に対し、「真の所有権者は私だ」なんて主張をしても裁判所は通さないよ、ってことにしました。この登記があれば勝つって効力を「対抗力」と呼びます。
 もっとも対抗力の話になるのは全ての場合ではなく、一定の場合で、この一定の場合に入るか入らないかが民法の一大論点な訳です。
 おおざっぱなことを言えば、「登記をしようと思えば訴訟を起こすなどできた場合には、それをしなかったことがさぼりだから対抗力なし」「登記をしようと思ってもおよそ無理なら登記がなくても対抗可」「おまえそんなことをしておきながら相手に登記がないことを理由に勝とうとしても勝たせてあげないよ」ということをおさえておけば、この私の文の目的は達せられています。
 これ以上の詳細は、複雑になりすぎるので省略。
 なお、登記があるのとないのの対立だと登記がある方が勝ちというのが対抗力の問題ですが、動産と違って「登記があればたとえ真の権利者でなかったとしても、その人から譲り受ければ権利者になれる。=前の「真の」権利者は権利を失う」という制度はとられていません。ですから登記はある程度までは信じられますが、完全に信用していいものではないのです。


目次へ  前のテーマへ  次のテーマへ  ルフィミアネットの本はこちら