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契約の大原則
契約には近代市民法の原則として「契約自由の原則」があるとされています。契約自由の原則というのは、
- 「契約の相手方は自由に選択できる(当事者の自由)」
- 「契約の中身も自由に決められる(内容の自由)」
- 「契約に一定の様式は要求されない(様式の自由)」
- 「契約を結ぶ義務はない(締結の自由)」
……ということを指します。実際にはこれらのことは例外もあるのですが、この例外は法律でたいてい定めてありますから、法律をあたればわかるということになりますし、法律がなければ契約は契約であるがゆえに拘束力を持ちます。
さて例外にあたる法律なのですが、契約の存在は認めて、しかし契約の拘束力を否定する理由というのはかなり限定的です。ある種の契約についてはその契約について定めてある中で、契約の拘束力を否定する規定を探すことになります。次に民法521条から548条までの契約総論、399条から520条の債権総論、90条から98条の法律行為に関する一般条項、最後は1条及び1条の2の一般条項を見ます。どれにもあてはまらないと拘束力は否定できません。通常は一般条項がきわめて抽象的な条項であることから、なんとかこれにひっかけるのですが、一方では判例の集積により、認めるパターンと否定するパターンとができつつあるので、状況いかんではかなり苦しい主張になるのは間違いありません。実務家には「一般条項は負け戦」って言葉があるくらいですし、「一般条項は三流の解釈」って言葉もあります。いずれもその苦しさを表わしたものでしょう。
ところで契約はいつ成立するかと言えば、それはお互いの気持ちが通じた時です。……って言うとなんかなんかですが……。契約は通常「……してほしい」「いいよ」ってやりとりでお互いの希望が合致していることをお互いが確認して成立することとなります。あくまで「合意が拘束している」のです。そしてこの合意が一見成立しているように見えて、実は成立していない場合というのが、世の中には結構あって結構問題になります。
あと、意外に誤解があるのが「契約の方式に制限なし」ということで、「書面に押印がないと契約は成立しない」って誤解が結構あります。契約は書面なんかなくても押印がなくても、合意があることを双方が確認できれば契約は成立です。しかし誤解の原因にも一理ありまして、いざ争いがあって裁判になった時に、合意の存在を主張する側がその旨証明することとなるのですが、書面が一番証明しやすい訳です。しかも今の日本の民事訴訟では、その人が普段使っている印鑑が押してある時は、「その押印は私のものでない」とか「それはそういうつもりではない」という事情を、印鑑を押した(と思われている)人が証明しなきゃならないのです。さらに重要な契約であればあるほど書面を作らないのは不自然なんで、いよいよ書面を作ろうかってことになるのです。でもあくまで紛争になった時の証明のためにやっていることにすぎず、契約書がないと契約不成立ということではないですし、押印がなければ大丈夫ってことでもないのです。
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