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法律学を勉強する意味

 大学においてはその専攻にかかわらず、法律学を学ぶことが要求されている例がほとんどと言っていいでしょう。また社会人になってから法律学に触れざるを得なくなることがあります。法解釈をしなければならない状況ならそれもわかりますが、必ずしもそうではないのに、法律学の試験を要求されることがある……。
 「社会人たるもの法学の素養を要求されるのは当たり前」って言ってしまえば身もふたもないのですが……。なぜ要求されるのか?
 私はこういうことだと思うのです。
 法律学が対象にしているのは「法律という種類のルール」な訳ですが、法律学を学ぶことによって得られるのは、法律に関する個々の知識というよりは、ルールの運用の仕方なのです。もちろんあらゆる学問がそうであるように、法律学でも最低限暗記しなければならない事項はあります。しかし、覚えることが学問を習得したことにはなりません。法律学の場合、私は「コの字型モデル」で説明するのですが、
  1. 現実社会の事象を抽象化すること
  2. 抽象化した事象にルールを適用し要件に応じた効果を導き出すこと
  3. その効果を現実社会にあてはめて結論を出すこと
の3つの作業がこなせるようになって、はじめて法律学を学んだと言えるようになるのです。条文を覚えるとか判例を覚えるなんてえのは2の内の一部にしかすぎません。それができたからって法律学が学べたと考えるのは大間違い。(別に北海道亀田郡恵山町大間と青森県下北郡大間町が違うという話ではありません。)しかし、この3作業がこなせるようになれば、その技法が法律以外のルールでも通用するのです。
 さらに法律学を学ぶことで、「法律学という立場に「偏った」切れのいい解析の道具」を手に入れることができるのです。当然この道具は「法律学」に偏っています。偏ってはいますが、そのことをふまえて使えば、なかなかわかりにくい社会現象を、きれいに解析することができるのです。
 そういう解析の道具を使いこなせる人とそうでない人では、社会に対する認識やそれに対する対応が違ってくるのは仕方のないことでしょう。
 どちらがいいか悪いかの問題ではないのです。道具はいろいろ揃えていた方がたいていは便利ですし、こと社会的な事象については、法律学はなかなか切れが良いのです。
 だけどよく切れるからと言って、手術用のメスでステーキを食べるのは間違っているのでして……。
 もっとも法律学をきちんと学べば、法律学が出て行かない方がいい場面というのも、きちんと身につくはずです……。


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