(1)
故意または過失による行為の存在ですが、これはいくつかの要素に分けられます。
後ろから見ますが、行為というのは通常は「何かをすること」をさしますね。ところが刑法では「何かをすると処罰する」という構成要件の他に「何かをしないと処罰する」という形式の構成要件も存在しています。そこで何かをすることを「作為」何もしないことを「不作為」その両方をあわせて「所為」と呼び、刑法の処罰の対象は所為であるなんて言い方もするのですが、ここではたぶんわかりにくくなると思うので、あえて「行為」という語をそのまま使うことにします。行為と言えば「何かをすること、何もしないことの双方を含む」という点をおさえておいてください。所為という言葉の方がわかりやすい人は所為という言葉を作為・不作為とともに覚えてしまいましょう。
次に故意または過失の部分ですが、まず原則として「故意」がなければ犯罪にならないということをおさえてください。故意というのは「こういうことをすると処罰しますよ」の「こういうことをする」という気持ちをさします。そういう気持ちがなければ故意はないのです。例えば刑法261条の器物損壊罪は「他人の物を損壊」した時に成立する犯罪ですから「他人の物を損壊」する気持ちがなければ故意がないので犯罪が成立しません。刑法38条1項本文がこのことを定めておりまして「罪を犯す意思がない行為は、罰しない。」としております。「ちなみに罪を犯す意思がない」の具体的判断基準の1つが、刑法38条3項本文の「法律を知らなかったとしても、そのことによって、罪を犯す意思がなかったとすることはできない。」です。法律を知らなければ「何をすると処罰されるかわかるわけがない」ので、処罰されないように行動することもできないという理屈はなり立ち得る話です。でも一方でこの言い分を認めると、たいていのことが犯罪として処罰されないことになり、それはそれで問題が残ります。その解決策として、日本においては「法令は官報に掲載して公布する。官報に掲載されればたとえ官報を読んでなくても読んだとみなされて知っていることとして取り扱われる」というシステムを採用しているので、そのシステムを使ってもいいのですが、刑法ではそこをあらためて明記することにして、「法律を知らなかったというのはだめだよ。」としたのです。
さて、その気持ちと微妙に異なる場合にどう処理するかは刑法の大論点の1つです。「他人の物を損壊」する場合に、まず考えられるのは「他人の物だとは思わなかった」場合でして、これは「他人」という要素が落ちていますからこの犯罪は故意がないので成立しないことになります。(ちなみに故意の内容の一部が欠けるために故意がないとされた場合には、その欠けた内容がなくても成立する他の犯罪を検討したり、過失犯の成立を検討するのは定石です。)一方、「損壊」については「なにがなんでも壊してやるんだ。」という気持ちでなくてもいいとされています。なかには「壊れるなら壊れてもいいや〜。え〜い。」なんて投げやりというかどうでもいいというか少なくとも「別にだめならそれでもいいよ〜」なんて気持ちは充分あり得る訳です。でもこれは「故意」に含まれるんですね。「何がなんでもやってやるんだ」というのを「確定的故意」というのに対し、「それならそれでもいいや〜」というのを「未必の故意」と呼びます。未必の故意も故意の内になるのはなぜかというと、構成要件にあたるような行為で構成要件に書かれた結果が予想されるなら、そもそもそういう行為はやっちゃいけないのでありまして、そこをやっちゃうのは大問題ですから、「やってはいけないことをあえてしようとする」という点では全く差がないのです。それゆえ未必の故意も故意ありとなるのです。
この原則に付随することとして「過失による犯罪を処罰するためにはそのための特別の規定が必要」(刑法38条1項ただし書)です。これ、裏を返せば過失を処罰する規定がなければ過失は処罰できないし、特に何も書かれていなければそれは故意による行為だけを処罰の対象としていると読みとりなさいということです。
さて過失とは何かということになりますが、構成要件に該当するようなことをする気持ちはないという点において故意とは区別されます。故意は存在しない訳ですね。で、故意が存在しない場合に、「一定のことについて注意を払わなければならない義務」(注意義務)が存在し「そうならないようにする義務」(回避義務)が存在し、その義務をはたさなかったがゆえに構成要件に該当することとなった時に「過失」が認められることになります。
もっともこの注意義務も回避義務も立場や状況によって差がでてくる場合がありますが、およそ不可能であることを義務として課して、その義務違反を問うというのは、不可能を強制していることで著しく妥当ではありませんから、注意しても予想できないような場合(予見可能性なし)や予想できたとしても避けることはおよそ無理(回避可能性なし)の場合には、過失はそもそも認められないということになります。
そして故意も過失もなければその行為を処罰することはできないのです。
もっとも構成要件自体が故意過失を要求していないものがきわめて例外的ですが存在していますし、刑罰ではないものについては故意過失を要求しない例が結構あります。
(2)
結果の発生ですが、これは構成要件に明記されているものもありますし、明記はされてないものもあります。ただ原則としてはなんらかの結果が発生することが、刑法が守ろうとしている利益(法益)の侵害にあたりますので、結果が発生しなければ犯罪にならないという言い方が可能です。
しかしこれには広範な例外が2つ認められています。
1つは「未遂処罰規定」がある場合です。原則は結果の発生を要求している訳ですから結果が発生しない限り犯罪にはならないのですが、結果が発生しなくても刑法が守ろうとする利益は侵害されている場合はある訳でして、そういう場合には未遂を処罰する旨の規定を置けば処罰してよいことになります。
もう1つは、ある種の犯罪については結果の発生という条件をそもそも要求していないものがあるのです。その理由は、ある行為をすること自体が既に刑法が守ろうとする利益の侵害になっていて、それ自体が結果だと評価していると考えていいでしょう。
さていくら未遂処罰規定があって結果の発生が要求されなかったとしても、全ての行為が未遂になる訳ではありません。構成要件に一部でも該当すれば未遂処罰が可能ですが、構成要件に該当するような行為が全くなければ、なんらかのその他の行為があったとしても未遂罪にはなりません。構成要件の一部でも該当するような行為があった時点を「実行の着手」と呼んでいますが、実行の着手がなければ未遂罪も成立せず、実行の着手以前の段階を「予備」と言いますが、予備については予備を処罰する規定がさらに必要です。
ちなみに次に説明する因果関係が存在していない場合には、たとえ故意または過失による行為があって、結果が発生したとしても犯罪にはならない訳ですが、未遂処罰規定がある場合で実行の着手が認められれば未遂罪になります。そうしますと、故意または過失による行為があって結果も発生しているのに「未遂罪」という、法律を知らないと奇妙に思える事態が発生します。
なお、未遂罪に対し、結果が発生した場合を「既遂」と呼ぶことがあります。
(3)
行為と結果があるだけでは犯罪にはなりません。その行為によって結果が発生したという「因果関係」が必要になります。
因果関係があると言うためには大きく分けて2つの要件が必要です。
その1つは「もしその行為がなければ結果は発生しなかっただろう」という条件と結果の関係です。裏から言いますとその行為がなくても結果が発生しただろうというのであれば、その結果はその行為によるものだとは限らないじゃないかというので条件と結果の関係を認めないのです。もっとも「その行為がなくても」と言っても別の仮定は入れないという約束があります。典型的な例は「死刑執行人がボタンを押す直前に別の人が押した」場合でして、「もしボタンを押す行為がなくても死刑執行人が押したであろう」というのは「死刑執行人が押す」のが確実な予定であっても仮定にすぎないんでそれは考えないのです。そうしますと「ボタンを押さなければ死ななかった」のですから条件と結果の関係は認められることになります。
実はこの点は(共犯が成立しないような)複数による犯行の場合に結構問題になります。
例えば2台の車に連続ではねられて死亡した場合、「もしその行為がなければ結果は発生しなかっただろう」という条件と結果の関係がどちらの車にも認めがたい場合があります。そうしますと概念的にはどちらかの車に認められてもそれを証明するのが困難であったり、そもそも概念的にすら認められないので犯罪不成立ってことすらあり得ます。
さてもう1つの要件は、「その行為をすれば普通そういう結果になるだろう」という関係です。その行為をしたって普通はそういうことにはならないというのであれば、仮に条件と結果の関係が存在していたとしても、因果関係自体は否定されることになります。で、この基準は誰が判断するかというと、「加害者が現に知っている事情と知り得た事情、それに一般人なら知り得たであろう事情」を基礎に「一般人ならそういう結果になるだろう」と考えるかどうかで決めるものなのです。(裁判になれば裁判官がいわば加害者と一般人の気持ちになって考えるわけですな。)たとえばある洞窟の中に連れて行ったとしましょう。ところがその洞窟には普通の人は知らないし加害者もしらないような病原菌があって、それに被害者が感染して死亡してしまう、その時にもし洞窟の中に連れて行かなければ死の結果は発生しないんで条件と結果の関係は存在していることになります。でも、それで殺人罪の成立を認める訳にはいきません。たとえ加害者がその人を殺そうと思っていたとしてもです。それはなぜかと言えば、なぜ刑罰を科し得るという理由の部分で「しなければならない、してはならないということを認識できたのに、あえてそうしなかった、もしくはそうしたということ」を必要としているのですが、加害者本人もわからない、普通の人もわからないというのであれば「しなければならない、してはいけない」ということもわからないのですから、刑罰を科し得る理由もなくなるために、犯罪不成立となるのです。