あまり本には書いてないかもしれないけど、法律学の議論の中でもいくつかのお約束事ってあるんですよ。
私法の大原則のところで
「他の誰かに何かをしてほしい、それも最終的に裁判でなんとかするって話なら、
まず真っ先に当事者間に契約があるかどうかを検討してください。契約がなければ自己の主張を根拠付ける法律があるかどうか検討してください。」
ってことを書きましたが、この検討について議論する時には「あるかないか」ではなく「あるかそうでないか」を判断するってことを、法律学をやっているとそのうち身に付くものなんですが、これはもしかしたら意外に知られてないかもしれません。これ民事訴訟の実際に触れると一発でわかるんですが、「法律上の効果の発生を主張する側が法律上の要件の存在を主張し、そのことを証明する」という前提で「証明できれば通し、証明できなければアウト」という判断をするのが基本形です。なもんで、議論をする時にもそれを基本形として行います。当然要件自体も議論の対象になるのが学問としての法律学ですから、その場合にはまず要件自体の検討をする訳ですが、要件自体は所与のものとしてそのあてはめが問われるような局面では、要件にあてはまると主張する側が要件にあてはまることを説明しなければならないのです。
例えば所有権に基づく建物明渡請求の場合、「原告所有」「被告占有」の2点が要件となるのですが、原告の側で「原告が所有している」ことを例えば登記簿の記載で証明する、被告が占有していることを例えば住民票の記載だとか契約書の写しだとか、表札・居住がうかがわれることを写真に撮ったりしてそれで証明する手順です。議論の時も同じで「要件は原告所有・被告占有で、こういうことから原告の所有が認められ、こういうことから被告の占有が認められる」という形になる訳です。
そして割と重要なのは「もし原告が主張立証に失敗したなら、請求棄却の判決が出る」という点でして、これは被告の言い分が正しくてそれが証明されたのだ……という訳ではないってことなんですね。審理の対象は「ある」と主張していることが本当にあるのかそうでないのかであって、「あるかないか」ではないんですね。
稀にこの基本形ができない人がいます。例えば「根拠を示せ」というと、その趣旨は「法律学の議論のお約束にしたがって要件やそのあてはめを示せ」であることもある訳ですが(他に同趣旨の文献を示せという意味で使うこともあります。)それがわからず、「そっちが先に示せ」と言って平然としている人もいるんですね。これは法律学の議論の約束がわからないのと同時に、「要件がないと言えなければ要件はあるのだ」という誤った論法をとっていることの現れですから、議論の相手としては敬遠しておくのが吉です。
ちなみに勘のいい人は「存在を証明することが困難な場合があるんじゃない」と気づいたかもしれません。これもそのとおりで、中にはその困難さを利用している場合もあるのですが、それじゃあかわいそうという場合には法律の方で「みなし規定(反対であることの証明を許さず、たとえ事実が違っても……違うからこそ「こうである」ときめつけてしまう規定です)」「推定規定(反対であることが証明できない限りこう扱いますよとしてしまう規定です)」を用意しております。
(2004.5.5)