理科系にどっぷり漬かった人って、時々「え?」と思うことを言い出すんだよね……。
私わりと物理の大槻教授は好きなんだけど、物理以外のある著書で「法律学は科学ではない。なぜなら真理を追求しないからだ。」と学生に問うて答がなかった話を得意げに語っているんだけど……。
んなもん当たり前やん。
「法律学は……ではない。なぜなら……ではないからだ。」って主張には、たいていあたしは賛成しちゃうよ。(笑)
でさあ?物理学って真理を追求できたの?
実体法の議論って事実は一つでその事実をもとに法律にあてはめるというので、「事実は1つであってそれは第3者にもわかる」というのが当然の前提になっている訳です。
ところが手続法ではそれを前提にしていない。そりゃあそうだ。裁判というのは「事実はどうだったか」「それに法律をあてはめるとどうなるか」のどちらか一方または双方が争いになるもので、事実はどうだったかなんてえのは第3者がいない限りわからない……。いたってそれを確かめる術がよ〜く考えたらたいていない。どっかで「信じる」作業が必要になります。
その意味で法律の世界では証明と言いますがこの証明って言葉は、数学で言うところの証明では全然ありません。ある一定確率以上でそうであろうと推測できるってことにすぎません。民事裁判だと単純に比較の問題ですし、刑事訴訟だと「合理的な疑いを差し挟む余地がない程度に確か」というレベルになります。
そしてそのようにして証明されたにすぎないものを、「事実として取り扱っている」のにすぎないのです。当然やってもいないことで処罰されるのはたまったものではありませんし、なんとかそれを防ごうとして刑事訴訟法は組み立てられているのですが……。事実は必ずわかる訳ではないということはおさえておく必要があるでしょう。
それともう1つ。
上であげたのは「事実がわからない」場合ですが、世の中には「真実は2つ以上ある」ってこともあります。発生した事実は1つであっても、受け取る人によっては全く違うように捉えられ、それぞれに嘘はない……という場合です。
例えばとあるマンガの1シーン。早朝、太陽に向かって走っていた目撃証人が反対側から歩いてきた人のTシャツの色を実際に着ていたのと違う色と証言する。これは太陽がまぶしくてその影響で違う色に見えたんだけどこれは事実は1つだけど真実は2つ以上ある場合ですね。
そうです。われわれは法律学を学ぶにあたって、「真実は複数あり得るが事実は複数ある訳ではないし、それすらわからない。」ってことをたたき込んで置く必要があるのです。
理科系のあなた、「真実は1つでそれは必ずわかり得る。」って考えてませんか?