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意思表示が大人の自由意思で行われたとは言えない場合

 なんでこんなことを問題にするかと言えば……。
 なぜ意思表示の合致で契約が成立し、拘束力を発生させるかと言えば、そこには近代市民法の原理としての「私的自治の原則」さらにはその根底にある「Pacta sunt survenda.(合意は拘束する)」という思想があるのですが、その大前提には、「物事の是非を判断できる大人が自ら拘束を欲したのだからそれを尊重する。」ということがある訳です。今までのぺんぎん屋の商売でも、そのことを当然の前提にしてきましたが、実際の取引の局面では必ずしもそうとは限りません。物事の是非を判断できない人、普段はできるけどたまたまその時はできなかった人、さらには何らかの事情でやむなくそうした人などがいるでしょう。そういう「物事の是非を判断できる大人が自ら拘束を欲した」という前提が通用しない場合にはどうなるのか?
 原則としては拘束力は発生しないのですが、ことが場合によっては他の人にも影響がでてくるので、拘束力なしで押し切る訳にもいかない場合がでてきます。ですので、状況に応じて場合分けして見ていくことにしましょう。

そもそも大人ではない場合

 日常用語でも使われますが「未成年者」がこれにあたります。民法では満20歳未満の人を指します。未成年者の場合には、契約を結ぼうと思えば必ず親(厳格には親権者や後見人)の同意が必要ですし、同意なき契約は未成年者の側からいつでも取り消すことができます。
 とはいえ、相手方で何もできない訳ではなく、親に対し「認めろ〜、1か月後までには答えろ〜」と催促することができますし、答がなければ認めたものとみなしていいというシステムを使うことができます。また、親から「おこづかい」として渡されたお金や「何かの時にはこれを使いなさい」として渡されたお金や物であればこのシステムを使わずとも、最初から同意があったものとして考えていいですし、「これを学費に使いなさい」と言って渡されたお金は学費に使う限りで同意があったものとして考えていいのですから、その限りで大人と同一視していいでしょう。
 もっとも現実にはそれで動くのは「未成年者が食べ物を買う、本を買う、CDを買う」などの、金額が比較的小さく、かつ対面販売の場合でして、金額が大きい場合には最初から親の名義で取り引きする方が多いでしょうし、通信販売の場合には最初から親の同意があったことを確認するために、親が同意したという文言の後に親の署名押印を求めることが多いでしょう。こういうことを行うことで、契約を取り消されることを防いでいる訳です。
 ちなみに未成年者自身が「未成年者じゃないの?」って聞かれても黙っていたとか、未成年者であることをごまかしていた場合には、もはや保護の必要なしとして、取り消すことができなくなりますし、未成年者が成人になってから5年すぎますとこれまた取り消すことはできなくなります。

恒常的に問題があると言えそうな場合

 この類型にあてはまるものとして、「後見」「保佐」「補助」があります。いずれも程度は違いますが、何らかの理由で正常な判断ができない、もしくは問題が残るという状況に「ほとんど」ある場合に、一定の者の介入を定めることで本人を守るものです。
 一定の者の介入というのもいろいろあるのですが、ここでは未成年者の場合と同様に「一定の行為には一定の者の同意が必要である。同意がない法律行為は本人側から取り消すことができる。」というのをおさえておきましょう。「後見・保佐・補助」が行われているのに、そうではないようにごまかした時には取り消すことができなくなるのは未成年者の場合と一緒です。

一時的に問題があると言えそうな場合

 この第1のパターンは「後見・保佐・補助」が必要とされるような状態にたまたまその時だけあったという場合です。
 この場合には個別に判断して本当にそうだったとなれば契約を取り消すことができるようになります。「後見・保佐・補助」が行われる場合との違いは「常にそう」か、「たまたまその時そう」だったかの違いです。前者の場合には「後見・保佐・補助」の決定がなされているれば自動的に取消権発生となるのに対し、後者の場合には特定の事案において個別に判断することとなります。
 第2のパターンは、「強迫」があった場合、言い換えれば、意思の形成や意思表示の存在は間違いないけれど、その過程に自由な意思が存在していない場合です。もっとも完全に自由であることは実は稀で、たいていは「こうしたくはないけどこうせざるを得ない」という要素が存在するのですが(例えばどこかで働くという内容の契約で考えてみると、働かないと食べていけないとなれば、そこで働きたくなくても働かざるをどこかで得ないという部分は少なからずある訳です)、その程度がある線を超えますと取り消すことができるようになります。
 第3のパターンは、「詐欺」があった場合、言い換えれば、意思の形成や意思表示の存在は間違いないけれど、もし本当のことを知っていれば契約はしなかっただろうという事情がある時に、そのことを理由に取り消すことを認めようとするものです。これまた強迫のところで述べたのと同じように、たいていは「こんなつもりではなかった」という要素が存在するものですが(例えば洗剤のCMで汚れがきれいに落ちると言っても、CMで言うほどには落ちないことはある訳ですし、そうすればその分だまされたと思っても無理はない部分はある訳です)、その程度がある線を超えますと取り消すことができるようになります。

ところで「取消」って何?

 取消というのは、例えば契約なら契約の時点にさかのぼって、その契約から発生する法律上の効果を全部否定してしまうこと、おおざっぱに言えば「契約をなかったものとしてしまう」ことを言います。法律上の効果の全部否定という点では「無効」と変わるところはありません。しかし、無効と違う最大のポイントは、「取り消されなければ有効だ」という点です。無効というのは誰が何と言おうと無効ですし、その無効は誰が言ってもいいのですが、取消については取り消すことができる人が限られており、その人が取り消さない限りは、周囲で「無効だ」と主張することができません。そこが最大の違いです。


ルフィミア
 民法126条では、取消権の消滅について、成人になってから5年という他に、20年という要件もあるようですが。
まさと
 はい。確かにそうなんですが、未成年者の場合にはほとんど考えなくていいのです。というのは5歳をすぎてからの行為についてはたいていは「成人になって5年」規定の方が先にくるでしょうし、5歳未満の法律行為というのは考えにくいからです。
ルフィミア
 「後見・保佐・補助」の違いってなんです?
まさと
 他人の介入の度合いの強い方から順番にこうなると思ってもらって結構です。なぜ介入の度合いが強くなるかと言えば、それだけ1人にしておくと危ないってことで想像つくと思います。


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