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2005年10月21日の衆議院総務委員会

本題

(前略)
○寺田(学)委員 民主党の寺田学と申します。
(中略)
 不払い等々多いんですが、そもそも、受信料を私たち視聴者が納めなければいけないという根拠条文というのは放送法の三十二条一項だと思うんですね。そもそも、公共放送である以上、すべての視聴者が不満があろうがなかろうが払わなければいけないし、どのような方であろうとも、公共放送ですから、すべからくメリットを受ける権利がある、私はそう思っております。よく言われることですが、自分は空手の達人で盗まれるようなものも何にもないから警察は要らない、そのような発想はやはり公共という考えの中では成り立たない問題だと思っております。ですので、受信料を払うということはある種義務であり、そこら辺に関しては、視聴者の方々もさまざま思惑、不満はあるでしょうが、やはり理解してほしいと私は思うんですよね。
 放送法三十二条の方をちょっと見てみますと、簡単に言えば、テレビを持ったら受信契約を結ばなきゃいけない、契約を結ばなきゃいけないと言っているんですね。
 この契約というもの、民法を少し勉強してみれば、自由意思の土壌にのっとって行われるものであって、極端な話をすれば、契約を結びたくないと一方が言えば、それは成り立たないものだと思うんです。そしてまた、払う受信料の性格、法的性質的なものをちょっと昔のものを引っ張ってみると、NHKを維持運営するための特殊な負担金、これは昭和三十九年の調査会の答申にあるんですが、特殊な負担金と言っている。
 私は、ここは非常にわかりにくいと思うんですよね。冒頭申し上げた受信料を払うことの意義というものが明確にわかりやすくない限り、やはり集金員の方々が戸口に来てお願いしたところでわからないと思うんですよね。
 ですので、とりあえずこの三十二条、自由意思が大原則となっている契約というもの、これの法的性格というものを、集金員になったつもりで、総務省の方、お答えいただければと思います。
○清水政府参考人 先生御指摘の受信料の法的性格とそれから受信契約の法的性格と、二つの面があると思います。
 まず、受信契約につきましては、放送法三十二条の世界からいうと、当然、NHKの放送、これ以外のNHKの放送を受信できないテレビは除かれるわけですが、NHKの放送を受信できる受信設備を設置した者にNHKと受信契約を締結することを法律上義務づけている。しかしそれは、先ほど先生御指摘のように、契約を結ぶかどうかは私法上の契約ですので、NHKの方からは、NHKが定めております日本放送協会の放送受信規約というのがございまして、これで契約を結んでいただけませんかという話があるのに対し、機器を設置した者が、私は結びます、結びませんと、それを結ぶか結ばないかを判断できる私法上の契約になっております。ただし、契約義務というのは法律上義務づけられておりますので、本来、置いた者は必ず結ばなければいけないという方向性になっております。
 それから、受信料の性格自身は、先ほど先生の御指摘のございましたような、国家機関ではない独特の法人として認められたNHKに徴収権が認められているところの、その維持運営のための受信料という名の特殊な負担金でございまして、これは視聴に対する対価ではなくて、やはり放送のための税金というものでもなくて、NHKに一定の業務を行わせるための負担金として法律で設置したというようなものになるかと思います。
○寺田(学)委員 集金員になったつもりでということをつけたんですけれども、まさしく今お話しされたようなことを、ドアをあけられて、いや特殊な負担金であって、いや法的なものがどうこうと言われたところで普通の方はわからないわけですよね。ですので、かなり昔につくられた法律ではあるんですが、この法律を変えたからといっていきなりみんなが払うようになるとは思いませんけれども、やはり公共放送である、公共である以上すべからく払うんだ、該当する要件は、テレビ、受信する、テレビを見る環境にある方、そういうようなわかりやすい改正も必要だろうなと私は思っているんです。
(後略)

 これは想像にしかすぎないんですが、寺田議員が「契約を結びたくないと一方が言えば、それは成り立たないものだと思うんです。」と言って質問したことに対し、清水総務省政策統括官が「それを結ぶか結ばないかを判断できる私法上の契約になっております」と受けた部分だけを取り上げて、「契約を結ばなくてもいいんだ」という結論を導き出しているんではないかと思うんです。(正直なところよくわからないが……。)
 ところがこの読解は穴が大ありなのは、法律を知らなくてもちょっと冷静になれる人ならわかると思います。
 「ただし、契約義務というのは法律上義務づけられておりますので、本来、置いた者は必ず結ばなければいけないという方向性になっております。」はどうなったの?
 全くそのとおり。
 で、重要なのは、法律学をある程度勉強した人ならすぐわかると思うけど、これって「ある行為が行政によって取り締まられることとその行為の根拠となった契約の有効無効は話が別」という、当然のことを答えているにすぎない点です。
 これのわかりやすい例は、実は「ある公法上の規制が契約の効力を左右する」パターンの方で、弁護士でない者が報酬目的で法律事務を取り扱うことを禁止した弁護士法72条本文に反して、弁護士でない者と委任契約(弁護士を依頼することは民法643条以下の委任だと言われています。)を結んだ場合、これは委任契約も無効だとされました(昭和38年6月13日最高裁判決)。これはわかりやすいんですよね?
 ところがこれは原則でもなんでもないんです。
 食品衛生法上営業として食肉を販売するためには都道府県知事の許可が必要なところ、その許可なしで営業していた場合、個々の肉の売買契約が無効になるかという点について、昭和35年3月18日最高裁判決は有効としているんですね。その理由の詳細は当該判決を見て、かつ内田貴先生の民法I(私は初版しか持っていないのですが、初版だとp230の「行政的取締規定と強行規定」のところ)を読んでください。
 要は「ある行為が行政によって取り締まられることとその行為の根拠となった契約の有効無効は話が別」というのは、民法を勉強した人ならきっとわかっているはずだし、それを前提にしているって点です。この知識をもとに上の清水政策統括官の発言を読み直してみましょう。
 ね?
「契約義務は法律上の義務」「置いた者は必ず結ばなければいけない」こと「も」全然譲ってないでしょう。結局「契約するかどうかは自由」だけど「契約を結ぶ義務」も否定していない。契約しなければ契約を結ぶ義務を果たしていないと判断されるだけのことだし、契約を結ぶ義務を果たしていないからって(この条文では)契約を結んだと見なすこともできない……ということなのです。(多少誤解を招きかねない表現なんで本当は使いたくないんだけど、もし上の文章がわかりにくければ、こう書き換えてみましょう。「民法上」もしくは「私法上」契約するかどうかは自由だけど、だからと言って放送法上の契約締結義務が消滅する訳ではない。放送法上の契約締結義務があるからと言って、民法上契約が自動的に締結されることにもならない。)

 「ある行為が行政によって取り締まられることとその行為の根拠となった契約の有効無効は話が別」について言えばたぶんインターネット上でもどこかに転がっていると思います。だけど内田貴先生の民法Iならもっとてっとりばやいですよね。「特に法律学の標準的な情報を得たければ、それは書籍に存在している可能性の方が非常に高いのです。」というのは、こういうことを指すのです。そしてそういう基本をおさえてないと、上のやりとりについて「それを結ぶか結ばないかを判断できる私法上の契約になっております」というくだりを見つけて「やった〜!契約は結ばなくてもいいんだ」と大喜びしてしまい、ただし以下も目に入らなくなるし、まして「ある行為が行政によって取り締まられることとその行為の根拠となった契約の有効無効は話が別」なんてルールがあるなんて思いもよらないってことになるんです。「書籍による情報が一切出てないとなると……。法学書を読んでない可能性が非常に高い上に、意見も偏っている可能性が高いです。少なくとも「何が法律学における通説」なのかを見極められていない可能性が高いと言えます。」というのはこういうことを示しているのです。

 ただ……この話にだけ限定して言えば、当該「総務省の見解」自体については出典が明記されていたんで、私も検証作業をすることができたというのが救いだと思っています。出典を示さず「私は結びます、結びませんと、それを結ぶか結ばないかを判断できる私法上の契約になっております。」とだけ書かれたら検証のしようがありませんね。

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