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管理手続論

前文
 管理人裁定基準を説明するためには、私が考えている管理人像とその根拠を示す必要があると思いますが、いかんせんアンケートでこんな長文を読まされた日には迷惑至極であること明らかですから、このように別文書としてまとめた次第です。
 話の筋としては、従来型の管理者像を「root型管理者」と、現在の管理者像を「事務局型管理者」として対置させ、事務局型管理者への移行が自然のものであったこと、NGMPにもそれが現れていることを示します。そして、多種多様な人の参加する社会においては意思決定手続こそが重視されるのであることが示され、その下での事務局型管理者の意思決定基準が示されます。

1 root型管理者像
 これは高野豊「root(ルート)から/(ルート)へのメッセージ」アスキーで示された管理者と言っていいと思います。そのサイトにとって何がベストかを考え、それを実現するため自ら動くというものです。おそらくfjに参加する多くのサイトにおいてはこのような管理が行われていると思いますし、単に歴史的理由にとどまらず、一定の条件の下では今なお合理性を持つものです。
 しかし、複数の人が参加する社会(community)の運営においてroot型管理が常に有効であるか?そこを考えずに「同じコンピューターのネットワークの話だから」という理由だけで無批判にroot型を採用できるものなのでしょうか?
 「root(ルート)から/(ルート)へのメッセージ」は、あるメーカーのサイトの話であり、会社の業務として利益を追求する点において特定の指向を持ったものでした。いわばこの点が共通基盤なのであり、「何がそのサイトにおいてベストなのか」という点の同意がとりやすい状況であったことに注意が必要です。

2 fjニュースグループ管理へのroot型管理者の導入の可否
 「root(ルート)から/(ルート)へのメッセージ」で示されるような共通の基盤はfjに存在しているでしょうか?歴史的経過はともかく、root型管理者の下に運営されている複数のサイトがインターネットを形成しているという点において「何がベストであるか」についての共通の認識を暗黙に持てるという保障は全く得られていませんし、個人が個人の資格と責任においてプロバイダーを通じて接続できるようになった今においてはなおのことです。
 fjにおいて管理者が「これがfjにおいてベストである」として選択したことが、fj参加者においてもベストであるという保障はroot型管理者の下では全くないのです。それでもroot型管理者が参加者の意向に即して行動することは可能ですが、多種多様な意向を把握することすら困難でありましょう。
 また参加者においても、自己の意見を管理に反映させるためにはroot型管理者に表明するしかないというのでは、ある政策が採用された時に、その政策が妥当なものなのかどうか、そして多くの参加者の支持を得られているものかどうか、疑問を抱かざるを得ません。
 そうなると議論の場の設定することにより、意思決定の過程への参加を保障するとともに、議論によって決着がつかない場合の意思決定方法を予め定めることにより、その意思決定方法によった結果は尊重するという、いわゆる民主主義的な決定過程を採用することとなるのは、いわば必然であったと考えます。  この意思決定過程においては、root型管理者は専制君主へ、もしくは一部特権階級の利益の擁護者へと転化しかねないのです。

3 事務局型管理者への転換
 NGMPはこのことを反映し、すでにroot型管理者像は放棄しております。
 ニュースグループの新設・廃止等に限ってみても、参加者である提案者が自ら議論を提起し、CFXを目指すこととなっています。その過程は要所要所で管理委員会に報告されますが、そのアクションを起こすのはあくまで提案者です。そして成立したCFXについて、管理人がその意思決定を覆すことはできません。管理委員会は緊急管理行為を行うことができますが、参加者の承認が得られなければ無効となります。
 参加者による行動、意思決定が主であり、管理人がこれに対抗することを予定しているものではなく、議論の整理等のサポートや意思決定後の意思実現行為を行うことに重点がおかれており、このことはニュースグループの新設・廃止等には限りません。
 参加者の意思決定作業に適切なサポートを行い、かつ意思を実現する行為を行うというのは、事務局の典型的な仕事と言っていいでしょう。
 現在NGMPは、事務局型管理者を想定しているのです。

4 事務局型管理者の意思決定方法
 事務局型管理者であっても、判断を求められることはあります。その際どういう行動をとるべきか。
 ここで私たちはなぜroot型管理者像を放棄したのかを再確認する必要があります。
 まず私たちは議論を行い、もって意思決定過程への参加を保障したわけです。もしその議論の結果、合意が形成されたのであればCFAかCFRが提案者がなされているはずです。そしてそれは成立しているでしょうから、管理人が判断を求められることはないはずなのです。しかし判断を求められたのであればそれはCFAやCFRに失敗した時なのですから、もはや議論による合意形成はできなかったと判断すべきです。
 そうすると私たちは第2の事実「管理者がベストと考えることが参加者にとってベストである保障はない 」を想起しなければなりません。また特にfjにおいては、単なる賛成・反対を述べる投稿は好まれないことを考え合わせると、なされた投稿だけで全体の意向を判断するのは非常に危険です。
 したがって参加者の意向を確認すべく投票によって決す、すなわちCFVを選択することとなります。そしてこの場合1人が相反する投票をなすことができるという重大な欠点を持つCFSを採用することはできません。
 残念ながら最近は提案者が議論の途中でCFRも出さずに議論の場から消えてしまったことがありました。この種の事案のように提案者がCFXしない場合の判断についてはどうするか?
 ここでも私たちはなぜroot型管理者を放棄したのか振り返る必要があります。私たちは共通の基盤を持てないからこそ、議論と多数決で決める方法論をとったはずなのです。これは、何がよいのかはわからないのだから、議論を尽くし,決着がつかなければ投票で決め、その結論には異を唱えないことを了解し、それを共通の基盤として中身を検討することにしたはずなのです。この手続重視の発想の下では、提案者は手続に従わなければならないはずです。そうすれば提案者以外の参加者が行えないCFXを行う義務が提案者にあると言うべきでしょう。そうすればその義務を行わない提案者の提案を採用することは、手続重視の姿勢を崩すものであって、妥当性を著しく欠きます.したがって管理人は躊躇なくCFRを選択するべきです。そして提案者ですらCFAやCFVを厭うような提案がfjにとってどれだけ有益かということを考え合わせれば実質的な意味でもCFRが相当と言えます。特に提案者がCFAを出さない場合に、管理人がCFAを選択することは、管理人のCFAには異議申立が認められない以上、異論のある者の意見表明の機会を奪うことになるのでしてはならないと考えます。
 ただしこれには有力な例外が考えられるでしょう。提案者以外の参加者からCFAやCFVを求められた場合には、単に提案者が不適切だっただけで他の参加者にとっては有益である可能性もありますので、CFVを採用することはありえるでしょう。しかしながらCFAを選択できないのは同じです。
(8期選挙へ向けての補足)
 以上の方針で7期のnet分野において管理人として判断してきたものですが、具体的事案においては、議論の中で意見が整理されなかったゆえに、何が論点であるかが不鮮明なままであったり、逆に論点は明らかになったものの、その論点が多岐にわたったがゆえに読者にとっての判断材料が不足した事案がありました。それらについては、CFVやCFSではなくCFRを選択しております。
 またCFSには重大な欠点があるものの、使い方によっては有効であると判断される場合にはこれを活用しております。

5 結語
 以上見てきたとおりroot型管理者はfjの管理業務にはふさわしくなく、またNGMPにもそぐわないことを示してきました。また今のNGMPが想定している事務局型管理者は、意思決定をできるだけ参加者がするように誘導し、できない場合でもできるだけ投票によって決することを示しました。
 これは私の私見にすぎませんが、私自身はfjだけではなく多くの社会において、公正な意思決定方法であるとされているものであることを確信しております。


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