変造手形
今日のお題は
「手形が途中で勝手に書き換えられた時,書き換えられたことを証明するのか,
書き換えられていないことを証明するのか?」
というお話。
今,「書換」と書いたけど,
銀行実務で言うところの融通手形における返済期限の延長のための新手形の発行,
旧手形の回収(いわゆる「ジャンプ」)の意味じゃないからね。
事案としては,
AがBを受取人として100万円の約束手形を振り出したが,
Bは勝手に100万円と記載されている部分を200万円に書き換え,
Cに裏書譲渡したというもの。
もっともこの話がいわゆる教室事案なのはわかってもらえると思う。
というのは,手形については,手形法で書かなければいけないことは定まっているものの,
用紙の制限や,金額にチェックライターを使うことなんて制限は,手形法では定めていない。
だけど,手形交換を行う手形交換所を構成する銀行によって組織された全国銀行協会が統一手形用紙を定めていて,
その用紙によらない手形は取扱を拒否するし,
金額の手書きは拒否まではしないけどちょっと怪しい香りがするから,
確認するよね。
なもんで,現実にはこういうもめ方に持って行くのは相当難しい話だったりするのです。
さてこの事案がもめて訴訟になるのはどういう場合かというと,
Cは200万円の約束手形だと思って受け取ったけど,
Aに請求したら
「振りだしたのは100万円の約束手形であって,200万円の約束手形ではない」
と言われて断られたために,
Aに対して200万円の支払を求める訴訟を起こす場合なわけだ。
変造と言っても金額が小さくなる変造だったら,
Cが100万円の支払を求めてAはそれにあっさり応じるだろうから問題にはならない。
(もっともAに資力がなければ支払に応じないことはあるだろうけど,
それはもう単純に手形不渡の問題に落ちちゃう。)
訴訟を起こすとなれば,Cの請求原因はこんな感じ。
「被告Aは200万円の約束手形を振り出した。」
「原告Cはその手形を所持している。」
「AからCへ裏書が連続している。」
で,事実関係を争ったところで,
Cが持っている手形の現物出せば,「原告のターン終了!」ってことになるし,
Aが特に反論しなければ200万円払えって判決が出る。
今日のお題は
「Aが「200万円の約束手形なんざあ振りだしていない」って争った場合の処理」
とも言えるわけだ。
まず,判例や実務の立場は割と明確。
大前提としては
「請求する側がその根拠を示して証明すること」
「その条文を持ち出した方が有利な側がその条文を持ち出して,
その条文に書かれた要件となる事実の存在を証明する」
というのがあって,
不利な側が不存在を証明する必要はないということ。
これは民事訴訟法の大原則。
今回の話でおおざっぱに言うと,
手形の支払人は受取人に対して手形に記載されたお金を支払うと約束して手形を振り出しているんだから
その約束を守りなさいよ
というのが手形法の暗黙の大前提になっていて,
(なにせ当たり前のことは明記しなくてもいいって頃に制定された法律だから)
もし受取人が請求するなら,
約束の存在を言えばいいというのが基本姿勢。
裏書譲渡がある場合には,
その裏書によって受取人の資格が手形所持人にきちんと移転していることを手形法が要求しているので
(こっちは明文あり)
そこまで主張立証する必要があるという仕掛け。
ここまでの話で重要なのは,
支払人が約束手形を振り出したこと自体は,請求の根拠なわけだから,
手形所持人が主張立証しなければならないわけだ。
けっして支払人が振り出し当時の手形の文言を主張立証する必要はない。
そうすると
実は手形法69条の意味が地味に問題になり得るわけさ。
仮に変造があった場合,
69条では変造前の署名者は変造前の文言による責任を負うと定めているこの規定。
さっきの「条文を持ち出した方が有利な側が要件となる事実の存在を証明する」という大原則からすれば,
支払人が69条を持ち出すことで変造前の文言の責任に限定されるんだから,
支払人側が変造前の文言の主張立証をしなければならない……とも読めるわけさ。
この読み方をした場合,
原告である手形所持人の主張を全て認めた上で,
そこから発生する200万円の手形金請求権の発生を(一部)阻止するんだから
「変造前の文言がこれこれであること」が抗弁ってことになりそうなんだけど……。
なんか変だよね。
変造されたって主張をするってことは,200万円の約束手形の振り出しは否定しているわけで,
請求原因事実の否認でしょ。
抗弁じゃあない。
そして否認であれば,
請求原因事実の立証は原告である手形所持人で,
支払人が200万円の手形を振り出したことを立証しないとだめだよって話に落ちる次第。
この点を「そういう読み方しちゃだめよ」って判断したのが,昭和42年3月14日の最高裁判決で,
この事案は金額ではなく満期の変造(最初の記載より早めた=早く手形金を受け取れる)だったんだけど,
「約束手形の支払期日(満期)が変造された場合においては、
その振出人は原文言(変造前の文言)にしたがつて責を負うに止まるのであるから(手形法七七条一項七号、六九条)、
手形所持人は原文言を主張、立証した上、これにしたがつて手形上の請求をするほかはないのであり、
もしこれを証明することができないときは、
その不利益は手形所持人にこれを帰せしめなければならない。」
とあっさり書いちゃっている。
……白状すると最初「論理飛んでるんじゃないの?」って思ったさ。
原文言の主張立証責任は手形所持人ではなく支払人じゃないの?って。
でもよく考えたらちっとも飛んでいない。
それはなぜかというと,まさに今私が説明したとおりの話から。
そしてこれは大きく出れば過失責任の原則からも導かれる話で,
いくら取引の安全の保護だとか手形の流通性を持ち出したところで,
自分の全く知らないところで変造された手形の責任を負うというのはあり得ないわけでしょ。
そのことからも裏打ちされる次第。
そうすると
69条はどういう意味なんだ?
ということになる。
だってこれまで論理からすれば69条がなくても,
手形所持人が「支払人がこういう手形を振り出した」ってことを主張立証しなければならないはずなんで。
この点は,立証の段階までくると69条の存在ががぜん意味をなすわけだ。
民事訴訟法にいわゆる二段の推定というのがあって,
ある文書に押印がある場合,
「その押印がある人の印鑑による押印であることが証明できれば,
その押印は本人の意思によって押印されたものと推定する」という判例
(ちなみにこの推定は事実上の推定と言われている)と,
「押印のある文書はそのとおりの内容のことがあったと推定する」
という民事訴訟法228条4項の規定とを組み合わせて,
結局
「押印のある文書はとりあえずそのとおり信じていいことにして,
違うというなら違うという側が主張立証しなければならない」
ということになっている。
これは手形にも当然適用になるから,
69条がなければ,
手形の振出について手形所持人が立証せよと言ったところで,
手形所持人はその押印が支払人の印鑑によるものだけを証明すればよく,
手形金額が違うことは支払人が証明しなきゃいけなくなる。
まあ,支払人がまるで知らない人だと,
その押印が支払人の印鑑によるものであることの証明も結構大変ではあるんだけど,
仮にそこをクリアできちゃうと,
変造されたことを支払人が証明しなければならなくなるので,
「振り出してもいない手形の責任を問われちゃう」
事態になりかねない。
この事態を防ぐのが69条で,
この二段の推定を使っても
「支払人が変造後の文言について責任を負うことはありません」
と断言するのが69条の目的なのだ……と解すると一貫するでしょ。
一方,
学説は従来から,
変造が明らかな場合とそうでない場合とに分けて,
変造が明らかな場合には,
判例・実務と同様に変造されていないとする側でその旨
(=手形の記載どおり振り出されたこと)
を立証する必要があるが,
変造が明らかではない場合には,
元々の記載がこうであったということを支払人が証明しなきゃならないとしていた。
これはこれで結論の妥当性は見えるんだけど,
いざ,裁判官の立場になってごらんなさい……と。
「変造が明らかか否か」で答が変わるなんておかしくないかい?
ってえか,実は一番シビアに問題になるのは「変造が明らかか否かすら判定できない場合」なのであって,
そういう時に「立証すべき側が立証できなかった」として立証できない側を負かすテクニックである立証責任を
どっちに負担させるか迷うというのは本末転倒でしょ?
だから,これは判例・実務の方が実に役立つ話なのさ。
でもまあ,今回この話を考えていく中で,学説の気持ちもわからないではないと思ったのよ。
実は,変造が明らかではないとして支払人に証明させるとする学説の立場も,
本来の主張立証責任があくまで手形所持人にあるということは崩してないのよ。
ただ,69条に独自の意味はなく
(もしくは大審院時代に「一切責任を負わない」として判決が出ていて,
さすがにそれはやりすぎとして振出時の文言による責任を認めたものだとする指摘?)
二段の推定が効くとすれば,
推定をやぶるために支払人が振出時の文言を立証しなければならなくなるわけで,
立証責任の転換にすぎないんだってことになるし,
判例・実務と同じように69条に二段の推定の排除の意味を読み込む立場からは,
支払人が「それ違う」と言い出さない限りは,
変造の有無を問題にしないでしょってことを言っているのだとしているわけね。
で,立証責任の転換だという立場だったら,
変造が明らかな場合って,二段の推定効かせちゃいけない場合だよねってなって,
変造が明らかかどうかで分けて妥当性を確保しようとするのは,
気持ちとしてはよくわかるよな~とは思ったのよ。
とはいえ……。
「自分が振り出した訳でもない手形について,勝手に書き換えられても,その責任は負わない。」
というのは鉄板で,
それでも責任を負わそうとすれば,何らかの故意・過失が必要なわけなんだけど,
手形を出したこと自体が故意・過失だというのはさすがに無理筋。
そして,
手形の振出を法律行為として考える以上は,
その法律行為の存在は主張立証してもらわなければならなず,
その主張立証責任はそれで利益を得る側=手形所持人なのもこれまた鉄板なわけですよ。
手形・小切手の特殊性に着目して
「支払人・裏書人の記載のある手形の存在」だけを主張立証すればいい
というところまでは踏み込んでないわけで。
そう考えると,学説よりは,判例・実務の方が役立つ上に簡明で筋もいいってことだと思うんですな。
……だいたいさ~。
民事訴訟で「抗弁」と言わないものを「手形「抗弁」」と言っちゃうあたりで,
手形小切手法業界は説得力ないと思うど(笑)
佐々木将人: 2015年2月4日 22時42分: 未分類: comment (0)