共犯
なんつうか法律用語発で一般に広まって
でも一般の使用法は法律用語とは違うというのは
結構大変だ。
例の音楽のゴーストライターの件
件の某氏の聴覚障害の件は
仮に偽だったとしてかつての札幌地裁案件の聴覚障害偽装事件と同じだし
これの共犯なんて論じるまでもなく不成立なんで
はなから外すことにする。
よくよく考えると詐欺罪というのも意外に誤解されている犯罪で
世間では結構「だましたら成立」と思い込んでいる人が多い。
正確には
「だます行為をした」
「だまされた」
「だまされた結果として何か財産を処分したor財産的利益を与えた」
がそろわないとだめ。
そしてだます行為というのは
「真実は違うのに,あたかも真実であるかのように思わせる」
ことで
だまされた結果として何かをしたというのは
「もし真実を知っていればしなかったことを
真実を知らなかったがゆえにしてしまった。」
ことでないといかんわけだ。
そうすると一般のユーザーがCDを買ったりコンサートに行く行為に出た結果を
詐欺罪に問うには意外に問題点があったりするわけだ。
というのはCDを買ったりコンサート会場に入場するためにお金を払うのは
財産を処分したとは言える。
ところが……だ。
これで利益を得ているのは直接的には
レコード会社であったり,主催者であったりするわけだ。
「その利益はいわば一定の割合で某氏にも行く」
という前提で
「CD会社や主催者と1つの共同体を形成して行った」
か
「CD会社や主催者はまるで何も知らなかった……あたかも道具であるかのように使われた」
かでないと某氏に詐欺罪は成立しない。
むしろ直接問いやすいのはこれらレコード会社なり主催者で
レコード会社がその計算でCDを発売すること
主催者がその計算でコンサートを実施すること
が経済的利益を与えたことになるのであれば
詐欺罪成立の余地が出てくる。
でもね……
ここで詐欺罪成立って言っちゃうと
ある意味レコード会社なり主催者の恥を天下にさらすことになると思うのよ。
先のチェックポイントをもう1回おさらいしてみる。
「もし真実を知っていればしなかったことを
真実を知らなかったがゆえにしてしまった。」
いい?
「真実は新垣隆が作曲したものです」
という真実を知っていれば
CDを出版しなかったものを
その真実を知らずあたかも某氏が作曲したと思い込んで
CDを出版しました……ってことでないと
レコード会社に対する詐欺罪は不成立さ。
……いいの?
当然レコード会社は営利目的の企業だから
「当社にとっては売れるかどうかが大問題であって
いい音楽かどうかは二の次です。」
というスタンスはありだと思うけど
これは本件にひきなおすと同時に
「消費者は某氏という名前だけで買っているんです」
という発言だからなあ……。
(ということは詐欺罪だとか騒ぎ立てる消費者は
自分は名前だけで買っているんですって白状していることにもなる。)
だまされたということより
その後の対応が実はより大きな問題を起こしそうな気がしてならない……。
……この点ではいわゆるAKB商法の方が割り切りやすい。
ある意味「CDはおまけです。」なわけで。
……さらに「売れればいい」という商業主義は
「どんな流通手段でも聞ければいい」という消費者の行動原理には対抗できないわな。
さてさて本題に戻る。
そんな某氏に音楽を提供したのが「法律上」詐欺罪の共犯に問われるためには
(実際に立件されるかどうかは別にして)
某氏に犯罪が成立しないといけない。
正犯なき共犯はだめだというのが刑法の大原則だからね~。
まあ漠然と「共犯」と言ってきたけど
「共犯」には「共同正犯」と「従犯……教唆犯と幇助犯」がある。
共同正犯は文字どおり「共同」の正犯。
詐欺罪に該当する行為を一緒に,もしくは手助けして行うもの。
ところがだ……今まで報道されているだけでは
消費者かレコード会社等かを問わず
共同正犯は無理目だと思うのです。
というのは,詐欺罪にあたる行為そのものは
新垣氏は行っていないし
作品の買いきりという形態で
「互いの行為をあたかも自分の行為とするような」集団は形成されたとは評価できない。
……そして教唆はいよいよ無理でしょ。
あるとすれば「幇助犯」
某氏が詐欺を行うことを「知っていながら」それを手助けするつもりで音楽を提供すれば
これは幇助犯は否定できない。
この場合はゴーストライターであることは何の免罪符にもならないから。
これは殺人犯に包丁を売った商店主と同様の話。
普通は「これで人殺すんだ」と言って包丁を買う犯罪者はいないから
商店主には幇助犯の問いようがない。
だけどもし商店主が話をすべて聞いていて
その上で包丁売ったのであれば
これは幇助犯が成立する。
普段,包丁などを売ることが商売であることなど何の免罪符にもならない。
……と,刑法の答案なら書かなきゃいけないところだ……。ふう。
ただ,今回,あたしは,これに詐欺罪の幇助犯成立させる気になれないのよ……。
仮に新垣氏の心情が
某氏に提供した曲は
・別に経済的な見返りはいらないから聴き手にいいなあと思ってもらえればそれでいい。
・自分の本業は別のところにあるからある意味どうでもいい
ってあたりだとすれば
これはよくわかる(つもり)なのよ。
たとえばあたしに「民事執行関係の話を書かないか」ってお誘いがあったとする。
あたしとしては専門は国際法だからまあお断りしたわけだけど
(そしてお断りしたからこそ「国際法からはじめよう」があるんだと思うんだけど)
仮にそのお誘いが,匿名もしくは他人名義で出るというもので,
結果それが評判になったとしても
それでどうこうって気にはあまりならないんじゃないかと思う。
当該他人がそれで悪さしていたらさすがに問い詰めはするだろうし
あたしはもしかしたらその後は断っちゃうかもしれないけど
相手に「いや,おれがやっていることじゃないんだ。」って言われた時に
真実を確かめないと幇助犯だとか手をひかないと幇助犯だというのは
何か違うと思うんだよね。
おそらく「手助けするつもり」の範囲の問題だと思うんだけど……。
んで,いよいよがまんできなくなったら公表するだろうし……。
でもそれが「分け前でもめて」って報道されちゃうとか……。
なんてことを
http://yoshim.cocolog-nifty.com/
と
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/39905
を読んで思いましたとさ。
佐々木将人: 2014年2月9日 22時30分: 未分類: comment (0)